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広告に広告じゃない名前をつける。
2019年12月10日

もう、師走ですね。みなさんいかがお過ごしですか。コピーライターの石井です。

毎年、12月になると、新しい年の会社のテーマを考えます。2020年、どんな思いで仕事にとりくむか、クライアントさんへの約束であり、スタッフみんなの目標でもあります。

そこで、テーマを思案しながら思い出したのが、今年の2月に開催された「全国CCミーティング北陸大会」です。私の所属する北陸コピーライターズクラブが主催し、北は札幌から南は沖縄まで、全国のコピーライターズクラブやクリエーターズクラブのメンバーが加賀温泉に集まりました。

そのときにCM界のレジェンド小田桐昭さんをお招きしてのトークイベント「広告の未来について」が催され、あらかじめ全国のコピーライターから寄せられた質問を、ぶっつけ本番で小田桐さんにぶつけるという形式で進められました。

「広告と作家性についてどう思うか?」「広告において過去も未来も変わらないことは?」「コピーライターの働きどころはスローガンか、キャッチフレーズか」など、広告づくりの本質にせまる難問がつづきました。どの問いにも真正面からお答えいただき、なるほどと思わせる説得力のある回答ばかり、さすがと感心して聞き入ってしまいました。

ちなみに小田桐さんの回答が気になる方は、「2019HCCコピー年鑑」(宣伝会議刊)に全質問と全回答が採録されていますので、そちらを購読ください。

そして、最後の質問は「広告の未来のありように『広告』じゃない名前をつけるとしたら?」、小田桐さん曰く「とんでもないものが突っ込まれていました」。

小田桐さんの答えは「広告とはある種のエンターテインメントであると思います。広告には買ってもらうとか知ってもらうとかの目的があって、その代わりに生活者にエンターテインメントを提供しますよね」「見る人の心を動かすためには、新しいものを突っ込む力を広告制作者はもたないといけない」(抜粋)というものでした。

「広告じゃない名前」については具体的には示されませんでしたが、自分の伝えたいことを一方的に伝えるだけじゃだめなんだ、と強くおっしゃっていたように思いました。

小田桐さんのお言葉を肝に銘じるためにも、野暮を承知で私なりに考えてみました。

興味深く伝えるなら「興告」。深く考えを告げるなら「考告」。好かれることをめざすなら「好告」。効き目を優先するなら「効告」。そして、見た人を幸せにするなら「幸告」でしょうか。広告という言い方は、広く告げるですから、送り手からみた表現になっています。それに対して、幸告は、受け手の感じ方を表現しています。これからの広告に大切なのは、そういうことなのかもしれません。私たちがつくった広告が、見た人のこころを1ミリでも1秒でも幸せな気持ちにさせることができれば、それをつくった私たちもまた幸せになれます。

というわけで、2020年、当社のテーマは「広告を幸告にするために」です。最後までお読みいただきありがとうございました。では、みなさま良いお年を。

Writing:Ishii