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あなたに会えたお礼です、先輩。
2021年12月24日

 今年の暮れ、東京銀座のギャラリーで、コピーライター故岩崎俊一氏の展示会が開催された。東京コピーライターズクラブが「TCCホール・オブ・フェイム」殿堂入りを記念して企画した、おそらく日本の広告史上初の「文字だけの=コピーだけの」コピーライター展だろう。今年の心残りはいくつかあるが、最も大きな心残りはこの個展に行けなかったことだ。

 ぼくが岩崎さんに初めてお会いしたのは、1993年の冬。当時、富山コピーライターズクラブによる年に一度の賞審査会へ、特別審査員として富山へ来ていただいたのだった。既にTCCの常連で、ソニー、パルコ、西武百貨店やキリンビールのヒットコピーをいくつも書いていた。出身大学と学部が同じこともあって、勝手に「先輩」コピーライターとして憧れていた。

 今思えば読むのが迷惑になりそうなくらい長い、審査の依頼状を書いたのを記憶している。多忙な日々にもかかわらず名も無い一地方の審査会を快く引き受けていただいた。富山空港に降り立った岩崎さんは、すぐにわかった。テニス焼けした精悍な顔つき、鍛えられた全身、とにかくかっこ良かったな。

 審査後の講評は「もっとやんちゃに」だった。ちょっとまじめすぎる、というのが全体の印象で、広告という形にとらわれすぎているというアドバイスをいただいた。その時はわかったつもりだったが、果たしていま、それができているか自問すると、恥ずかしい限りだ。

 ある日、岩崎事務所から一冊の情報誌が届いた。岩崎さんのエッセイが連載されていた。ぜひ、バックナンバーも欲しいとお願いすると、まもなく分厚いゲラのコピーが届いた。それらのエッセイは後に「大人の迷子たち」(廣済堂出版)として一冊の単行本になるのだが、ぼくにはあのゲラは宝物だ。

 岩崎さんとの最初の出会いから20年後、2013年に富山コピーライターズクラブが北陸コピーライターズクラブに生まれ変わった。記念すべき最初の審査会を開催するにあたって、ぼくの願いが叶い、特別審査員に岩崎さんを再びご招待することになった。

 しかし、残念ながら体調が思わしくないとの理由で、二度目の審査員として来ていただくことは叶わなかった。それでも、いつかお招きしたいとひそかに念じて、健康の回復を祈っていたが、ついに再会の機会は来なかった。翌年の師走、突然の訃報が信じられなかった。67歳の若さだった。

あなたに会えたお礼です。

ボディコピーはこうつづく。

人が、一生のあいだに

会える人の数はほんとうにわずかだと思います。

そんな、ひと握りの人の中に、

あなたが入っていたなんて。

この幸運を、ぼくは、

誰に感謝すればいいのでしょう。

あなたに会えたお礼です。

(サントリー/お歳暮/1985年)

 トンボ鉛筆、東京海上日動サミュエルなど、岩崎さんのコピーは、晩年になるほど深みを増し、人間の心のひだの部分を確かに映し出していた。氏のキャッチフレーズやボディコピーを読んでいると、コピーライターは大人の仕事、いや一生の仕事なのだと気付かされる。

 岩崎さん、あなたに会えたお礼をぼくは何と言えば良いのでしょう。答えが見つかるまで、もう少しコピーを書き続けます。

Writing:Ishii