こんにちは、コピーライターの石井です。
一瞬にしてその役割を終えてしまうコピーに注目し、
全国で活躍中のコピーライターの書いたすばらしいコピーとともに
なぜ、このコピーが77才に掲載されたのかというと。
私もコピーライターを77才まで続けられたら幸せだろうと思いま
みなさん、こんにちは。コピーライターの石井です。
最近、新聞を読まない人が増えているそうですが。みなさんは新聞、どこから読みますか?ぼくは、テレビ面から始まって、最後に一面を読みます。読むと言うより見るという感じに近いです。しかも、目線は下から上へです。
このような見方は広告関係の人に多いと思うのですが。かつて面白い広告はテレビ面や社会面、つまり後ろのほうに多く掲載されていました。朝、朝刊をめくって面白い広告をチェックする。そんな長い間の習慣が今も直らず、新聞逆読みが続いています。
最近、記憶に残っている新聞広告は、樹木希林さんの死後まもなく掲載された希林さん最後のメッセージ。タイミングもありましたが、「あとは、自分で考えてよ。」(宝島社、30段)には、ジーンときました。もちろん、生前に掲載された同じく宝島社の「死ぬときぐらい好きにさせてよ」との対比もあって、鮮明に覚えています。
少し前になりますがSMAP解散後、3人の「新しい地図」(30段)にはやられました。あれが朝刊から飛び出した日の衝撃は、今でもはっきり覚えています。最初はわからなくて、「新しい地図」ってどういうこと、NEWSMAPって新しいSMAPって読めるな、とか。だれがつくったんだろうと気になったり、今思えばとにかく滞空時間の長い広告でした。さらに、同じコピーで動画、WEBサイトも展開されていました。
そして、自分史上最もやられた感の強い新聞広告は、かなり昔になりますが、としまえんの15段「史上最低の遊園地」。4月1日にあれをもってくるとは、しばらく手が止まって、すみからすみまで見入ってしまいました。新聞広告の名作はあげればきりがないので、この辺にしておきます。
そして、今でもぼくは新聞広告は好きです。コピーライターとして仕事を始めたころは、新聞広告がメインでしたから、新聞広告に育てられたと言ってもいいです。キャッチフレーズとボディコピーが整然とレイアウトされた新聞広告は、見るのも読むのも、もちろんつくるのも好きです。
さて、ここで我が社のひみつの時間をひとつ紹介します。紹介したらひみつでも何でもありませんが。それは、全国紙と地方紙、あわせて3紙の新聞広告の切り抜きをテーブルに並べて、みんなで好きなことを言い合う合評会のようなもの。ぼくにとっては月に一度の贅沢でもあり、楽しい時間です。スタッフのみんなはどうなのかな。
クリエーティブ関係の雑誌を見たり、ネットを検索すれば、最新の広告はいくらでも見られます。なのに、なぜ、いまだに現物の切り抜きにこだわっているかというと。新聞の原寸の大きさとか、紙の手ざわりとか、印刷の色とか、現物じゃないとわからないことがたくさんあるからです。そして、企画とかデザインを考える時に、それがすごく大事だと思うからです。
新聞広告は企画の基本です。だれの本だったか忘れましたが、オール媒体の大きなキャンペーンでも新聞広告、グラフィックの表現をしっかりつくると、クリエーティブがブレないみたいなことを何かで読みました。
新聞15段とか30段の大迫力は、ネットではわかりません。手のひらで完結する世界ばかり見てたら、小さな人間になるよなんて、偉そうなことを言うつもりはありません。ただただ、新聞広告は残ってほしいだけです。
こんにちは、石井です。今日はぼくが駆け出しのコピーライターだった頃の話。(年をとると昔話や自慢話が増える、と若い人に言われますが)お許しください。
当時は広告制作のすべてがアナログで、今と比べるとのんびりしていたかもしれません。実際にはその時代その時代で必死だったとは思いますが。
まず、コピーはすべて手書き。筆記具はあの青いステッドラーの2B鉛筆。毎朝、10本くらいを鉛筆削り機で削ると、右手の小指の下を真っ黒にして書いた。広告会社支給の原稿用紙は、横にも縦にも使える25マス×16マスの400字詰め。読み間違いのないよう、角ゴシックのような独特の書体で、1マス1マスていねいに埋めていった。
キャッチフレーズは、原稿用紙に一本ほぼ25字以内で一案ごとに改行して書いた。ボディコピーは不要になったコピー用紙の裏に下書き、誰も読めないような字で、できるだけ小さな文字で書いた。それを推敲してから、原稿用紙に清書した。清書が仕事の半分くらいを占めていた。
提出が決まったキャッチフレーズ案は、原稿用紙にサインペンで大きく清書した。鉛筆で清書したボディコピーは、デザイナーが手描きしたラフスケッチといっしょにプレゼンした。キャッチフレーズのタイポグラフィもデザイナーの手書きだった。修正があれば、再び手を真っ黒にして全文を清書して提出した。原稿用紙を何枚も清書するには、結構体力がいった。
やがて、ワープロが登場すると、清書から解放された。当初、ワープロは笑えるほど大きく、まるでミシンのようだった。まもなく、ワープロもパソコンに変わった。パソコンになってコピーライターの仕事がどう変わったのか改めて考えてみる。確かに便利にはなったんだけど、手書きとは何かがちがう。
小説家には手書き派とパソコン派がいるらしい。小説家が手書きにこだわるのは、なんとなくわかる。手書きのほうが小説の世界に没頭できるし、集中して執筆できるような気がします。
コピーライターから小説家に転身した林真理子さんも、手書きにこだわる作家の一人。「書き始めると手が勝手に動く」そうです。うらやましい。そして、書き疲れると「手は切り上げるタイミングを知っている」といいます。それが文章のリズムになる。パソコンは楽に書けるから、だらだらと書き続けてしまう。それでは読み手が飽きる、いい小説は書けない、というわけです。
いま、このブログもパソコンで書いていますが、本当にだらだらと書いている気がします。そろそろまとめに入らないとね。
パソコンでは、ローマ字入力して、文節ごとにひらがなを漢字変換して書いています。もう、慣れてしまったので、それほど抵抗はないのですが、漢字変換のたびに関係のない漢字が見え隠れするし、そのたびにイメージが散漫に。なかなかいいボディがまとまらないときは、下書きを手書きします。それでいいボディが書けるか、というとそんなに簡単ではないのですが。
ただ、キャッチフレーズの場合は、漢字変換で思いも寄らない同音異義の言葉に気づいて、いいコピーが生まれたりすることもありました。そのときはラッキー!
今はというと、キャッチフレーズは愛用のボールペンで手書き。一時期、万年筆を試したこともありますが、ブルーのインクが美し過ぎて、どのコピーも良く見えて・・・というのはもちろん嘘です。やはり原稿用紙がインクで汚れやすい、手が汚れるなどの理由で、ボールペンに落ち着きました。写真のボ-ルペンは、軸が太いので疲れません。もう30年愛用しています。