先日、北日本新聞広告賞の表彰式に出かけました。幸いにも当社がをお手伝いした新聞広告が2点入賞したので、広告主さまをお祝いするためにスタッフとともに参加した次第です。
グランプリを受賞された広告主の社長さんがスピーチの中で、「グランプリの取り方」について熱く語っておられ、盛り上がっていました。グランプリだけでなく、入賞されたみなさん、時間をかけて準備し、それぞれ工夫して出稿していることがわかりました。なんと、もう次回のグランプリをねらっている広告主さんも何人かいらっしゃいました。
そこで、特別に広告主のみなさまに、私が思う新聞広告賞の取り方のノウハウを解説します。(制作者のみなさんは、ご遠慮ください。笑)

さて、広告は新聞広告に限らず、招かれざる客なので、普通に呼びかけてもスルーされます。そこでさまざまなアイデアや工夫が必要になってきます。
まず、第一に読者や消費者が見たいものを見せることです。広告業界ではアイデアに困ったら、動物、子供を登場させると言われるほどで、人はかわいいものに惹かれるので。当社が制作した中国南方航空の広告は、小さなスペースながら、旅行トランクを引くパンダが広告をナビゲートし、目立っています。審査員長にもパンダに尽きるとお褒めいただきました。

第二に新聞広告の媒体特性を生かしたアイデアを考えること。たとえば、ネット広告ではむずかしい、一覧性を活用した広告。新聞15段の紙面いっぱいに、富山県全市町村の観光スタンプを並べた自動車販売会社の広告は、それぞれのスタンプが見ていて楽しいし、いつまでも眺めていられます。入賞の常連で、いつもやられた感のある広告で楽しませてくれます。
第三に意外性です。何だこれは!?という読者の反応が得られれば、その新聞広告は勝ちです。何だ?の答えを探すためにその新聞広告の隅から隅まで見てもらえますから。当社が制作した「やわらカレッジ開学」は、あえて企業名を隠して、「やわらカレッジ」のネーミング訴求ととともに「何だこれ?」の反応をねらっています。

第四に社会性です。公共性と言ってもいいかもしれません。新聞という公共性の高い媒体で、より社会のためになることを問題提起したり、考えるきっかけを与える広告。今回、グランプリに輝いたRMS保険センターは「らしく、生きる」というコピーで、あらためて自分らしく生きることの意味を問いかけて審査員の共感と評価を得たようです。
以上4つの条件を組み合わせれば、より強い新聞広告になるはずです。もちろん、他にも広告賞をねらう方法は、まだまだたくさんありますよ。広告に正解はありません。だから面白いとも言えます。一つ言えるとしたら、入賞すれば正解!?つぎはあなたの会社の広告で賞をねらいましょう。新聞広告のご用命は、当社まで。
今年、SDGsの認知度は9割を超え、日本の生活者の91.6%が認知していると報告された。2015年に国連サミットで採択されてから、既に8年が経っている。まだ、終わってはいない。2030年がゴール目標年だから折り返し点を超えたところ。
では、毎年、大量に開発もしくは創造されては消費されている広告はSDGs的にどうなんだろう。そもそも、私たち広告制作者たちの仕事は、SDGsなんだろうかと考えてみた。

企業や団体、行政の適切なクリエーティブを考えることは、広告予算をより効率的に使い、広報予算を節約するにちがいない。もう、それだけで十分にSDGsに貢献していると言えるかもしれない。やっていることはSDGsとは程遠い気もするけど。
そう言えば、杉山恒太郎氏が著書のなかで広告から公告へ、広告が公告のセンスを持ち続けることの重要性を説いていた。広告が社会的課題の解決に必要なコミュニケーション活動にシフトしていくと、広告の手法はSDGs推進のために不可欠なツールとなるだろう。
もちろんSDGsそのものを広めるためにも、コピーやデザインの力が必要だ。SDGsの広報PR啓蒙活動においてクリエーティブは機能しているのか、どうなのかという答えのない問いかけをしてみた。
SDGsのロゴやコミュニケーションをデザインしたのは、スウェーデン出身のクリエイティブディレクター 、ヤーコブ・トロールベック氏だ。どういう経緯でこの人にオファーがいったのかは知らない。
国連からSDGsのデザインについて依頼を受けたのは2014年のことらしい。2015年9月、国連サミットの1年前だ。トロールベック氏が来日した際のインタビュー(サスティナブルライフメディアより)によると、最初は「多岐にわたる内容が羅列されていて分かりづらかった。目標を覚えきれない、何が大事なのかが伝わらない典型的な事例だと思った」という。
まず「シンプルな言葉づくり」から始まった。そうして生まれたのが、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」といった短いフレーズ。こうして17のキャッチフレーズと17色のアイコンが生まれた。17色の円形のロゴについては、「すべての目標が一つになり、統合されている印象を与えられる、太陽のような形状のものにしたかった」と説明している。あのマーク、今や知らない人はいないだろう。バッジをつけている人もよく見かける。
持続可能な開発目標を何と呼んでもらうかについての提案が面白い。トロールベック氏は「『持続可能な開発目標』は長すぎるし、『SDGs』はつまらなさすぎる。だから、『グローバル・ゴール(世界共通の目標)』と呼ぶこと」を提案した。が、これは採用されなかった。
もし、世界がSDGsではなく、グローバル・ゴールと呼んでいたらどうなっていたのだろう。とても興味深い。少なくとも、言いにくい「SDGs」よりはグローバル・ゴールのほうがわかりやすいし、目標をめざすうえで優れている。SDGsの観点から言えば、持続可能な言葉(コピー)だと思う。
2030年のゴールまで7年ある。17のゴール、169のターゲット、地球上の誰一人も取り残さない(これもコピーだ)という誓い。私たちは持続可能な言葉とデザインをいくつ生み出せるだろうか。
今年の暮れ、東京銀座のギャラリーで、コピーライター故岩崎俊一氏の展示会が開催された。東京コピーライターズクラブが「TCCホール・オブ・フェイム」殿堂入りを記念して企画した、おそらく日本の広告史上初の「文字だけの=コピーだけの」コピーライター展だろう。今年の心残りはいくつかあるが、最も大きな心残りはこの個展に行けなかったことだ。
ぼくが岩崎さんに初めてお会いしたのは、1993年の冬。当時、富山コピーライターズクラブによる年に一度の賞審査会へ、特別審査員として富山へ来ていただいたのだった。既にTCCの常連で、ソニー、パルコ、西武百貨店やキリンビールのヒットコピーをいくつも書いていた。出身大学と学部が同じこともあって、勝手に「先輩」コピーライターとして憧れていた。
今思えば読むのが迷惑になりそうなくらい長い、審査の依頼状を書いたのを記憶している。多忙な日々にもかかわらず名も無い一地方の審査会を快く引き受けていただいた。富山空港に降り立った岩崎さんは、すぐにわかった。テニス焼けした精悍な顔つき、鍛えられた全身、とにかくかっこ良かったな。
審査後の講評は「もっとやんちゃに」だった。ちょっとまじめすぎる、というのが全体の印象で、広告という形にとらわれすぎているというアドバイスをいただいた。その時はわかったつもりだったが、果たしていま、それができているか自問すると、恥ずかしい限りだ。
ある日、岩崎事務所から一冊の情報誌が届いた。岩崎さんのエッセイが連載されていた。ぜひ、バックナンバーも欲しいとお願いすると、まもなく分厚いゲラのコピーが届いた。それらのエッセイは後に「大人の迷子たち」(廣済堂出版)として一冊の単行本になるのだが、ぼくにはあのゲラは宝物だ。

岩崎さんとの最初の出会いから20年後、2013年に富山コピーライターズクラブが北陸コピーライターズクラブに生まれ変わった。記念すべき最初の審査会を開催するにあたって、ぼくの願いが叶い、特別審査員に岩崎さんを再びご招待することになった。
しかし、残念ながら体調が思わしくないとの理由で、二度目の審査員として来ていただくことは叶わなかった。それでも、いつかお招きしたいとひそかに念じて、健康の回復を祈っていたが、ついに再会の機会は来なかった。翌年の師走、突然の訃報が信じられなかった。67歳の若さだった。
あなたに会えたお礼です。
ボディコピーはこうつづく。
人が、一生のあいだに
会える人の数はほんとうにわずかだと思います。
そんな、ひと握りの人の中に、
あなたが入っていたなんて。
この幸運を、ぼくは、
誰に感謝すればいいのでしょう。
あなたに会えたお礼です。
(サントリー/お歳暮/1985年)
トンボ鉛筆、東京海上日動サミュエルなど、岩崎さんのコピーは、晩年になるほど深みを増し、人間の心のひだの部分を確かに映し出していた。氏のキャッチフレーズやボディコピーを読んでいると、コピーライターは大人の仕事、いや一生の仕事なのだと気付かされる。
岩崎さん、あなたに会えたお礼をぼくは何と言えば良いのでしょう。答えが見つかるまで、もう少しコピーを書き続けます。